コロナでつらい世の中ですが、そのコロナをやっつけるべく立ち上がった人がいます。
それは、吉原狐舞ひの、百合之介(ゆりのすけ・創作神楽団 吉福社中代表)です。
百合之介は、吉原神社にコロナ終息を祈願し、狐舞ひの百日奉納を 2月14日から始めました。
毎日、だいたい午前中に1時間ぐらい舞っていて、どなたでも見学できます。
日によっては夜に舞うこともあります。 時間はどうぞお問い合わせください。
吉原狐舞ひとは?
江戸幕府公認の遊郭街であり、さまざまな文化・芸術の発祥の地でもあった吉原。
吉原周辺には5つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を受けていました。 また遊女たち自身も「狐」と呼ばれていたりと、なにかと狐に縁のあるまちでもありました。
そんな吉原では大晦日、狐の面をかぶった「狐舞ひ」が現れたと伝えられており、その姿は葛飾北斎の浮世絵にも描かれています。
隅田川両岸一覧 下編 吉原終年
当時は吉原の中でしか見ることのできなかった特別で粋な芸だったようです。
この「狐舞ひ」は遊郭に上がり込むと、遊女たちを追いかけまわし、一種の鬼ごっこのような風景が年の瀬の風物詩となっていたようです。
吉原といえば、「鬼滅の刃 遊郭編」テレビアニメが放送決定しましたね。 狐舞ひが登場しないか、楽しみです。
今から17年前の2004年、まだ百合之介が現れる前、とある青年が、埼玉県所沢の祭り囃子を習ったことから物語は始まります。
彼は、祭り囃子に魅せられ、お祭りなどでも舞うようになりました。
それから縁あって、台東区竜泉に引っ越し、地元を知ろうと図書館を訪れ、先ほど紹介した葛飾北斎の浮世絵に出会ったのです。
彼はまず、この浮世絵に描かれた狐のおだやかな顔に魅せられました。
何故なら、各地の御神楽の狐の顔は怒った顔だったからです。 そこで、浮世絵にならって笑顔の狐面を作りました。
どのような舞であったのか、どのような囃子の音色であったのかなど、不明点は多いものの、浮世絵に描かれた姿やわずかな文献をもとに再現しました。
その為に、江戸里神楽を習い、浅草三社囃子を習い、舞を作り上げました。
正解や完成がないので、一生作り続けるそうです。
そののち、王子稲荷神社や、装束稲荷神社で舞うようになりました。
3年が経った頃、百合之介のブログを見て、吉原町会の人が竜泉に住む百合之介に声をかけました。
吉原町会の皆さんも、吉原狐舞ひの存在を知らなかったので復活には驚かれたようです。
そこから、吉原神社と吉原町会が、吉原狐舞ひの普及に尽力するようになりました。
■吉福社中の年間行事■
1月
・新春吉原の狐舞ひ
・鷲(おおとり)神社七草 鷲舞 奉納
2月
・鷲神社節分祭 鷲舞 奉納
・大江戸よしわら節分お化け
3月
・三島神社火除(ひよけ)稲荷祭 狐舞ひ 奉納
4月
・一葉桜まつり江戸吉原おいらん道中
5月
・茂林寺(もりんじ)狸舞 奉納
・吉原神社例大祭 神輿渡御 先導
・千束稲荷神社例大祭 長編神楽奉納
9月
・よしわら俄(にわか)
・牛嶋神社例大祭 神輿渡御 先導
・櫻木神社例大祭 神輿渡御 先導
・豊川稲荷東京別院大祭 稲荷舞奉納
・蛇窪神社例大祭 白蛇舞 奉納
10月
・神楽坂化け猫フェスティバル 先導
11月
・酉の市 鷲舞 奉納
吉原神社(台東区千束3-20-2)
東京メトロ日比谷線入谷駅、三ノ輪駅徒歩15分 都バス吉原大門、千束徒歩5分 めぐりん台東病院徒歩30秒
江戸吉原の、大門近くにあった、玄徳(よしとく)稲荷社、東西南北四隅にあった、榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助(くろすけ)稲荷社が、明治5年に合祀され、吉原神社が創建されました。
吉福社中
百合之介が一人で始めて、今は7人が集い活動しています。
〒111-0012
東京都台東区竜泉2-19-13-402
@kakoyurinosuke
https://yoshiwara-kitune.jimdo.com