【つけ麺 大勝軒 山岸さん 追悼】

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つけ麺(特製もりそば)を生み出した「大勝軒」の山岸一雄さんが亡くなったとのニュースが流れて約1週間程経ちます

 
浅草界隈にも「大勝軒」関連の店が3店程あります

 
入谷大勝軒過去記事

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浅草大勝軒過去記事

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大勝館(かなり特殊)過去記事

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有名だけど「大勝軒」は結構な数があり「○○系」など分かりにくいので一旦整理をします

 
大きく4つの大勝軒グループがあります
「人形町大勝軒」明治時代からの老舗系列。山岸さんとは別系列
「永福町大勝軒」山岸さんの大勝軒とは別系列
「東池袋大勝軒」山岸さんの弟子達の展開する系列
「丸長系大勝軒」山岸さんも元々はこちら出身

 
つけ麺=大勝軒 と考えている場合は「東池袋大勝軒」か「丸長系大勝軒」というのが山岸さんの影響がある店舗ということになります

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つけ麺は山岸さんが独立前の「中野大勝軒」時代に「特製もりそば」として開発されたのが始まり。 その後1961年(昭和36年)に山岸さんは独立し「東池袋大勝軒」を開店

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実は創業当時から弟子を取らず家族経営でやっていたのですが、奥様を亡くし失意で店を閉めていた頃、店頭の貼り紙にお客による励ましのメッセージが書かれていて再開を決意したというエピソードがある

 
子供のいなかった山岸さんは方向転換し、弟子を次々に受け入れ100人以上を育て、のれん分けも全国に広がった

 
しかし、山岸さんは「のれん代」も取らず、一説には3ヶ月も修行すれば「のれん分け」が出来て、その後の味も自由にさせていた為に各店でバラバラの味となり酷い店があるのも確かです

 
フランチャイズ展開して加盟店料を徴収し、セントラルキッチンで各店統一の味をという現在の主流とは真逆の道を行ったワケです

 

 

しかし、これだけ弟子に愛され、ファンに愛されたラーメン職人は今後現れないのではないだろうか

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それは山岸さんがこのことを知っていたからであろう

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お疲れさまでした

合掌


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