【浅草 東洋館 歴史】

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初めはロック座に刺激され、同じストリップの「フランス座」を1951年開設。
作家の永井荷風は常連。 合間に取り入れたコントなどから渥美清、長門勇、由利徹、東八郎らが活躍しスターとなっていった。さらに台本を下積み時代の井上ひさしが担当。評判となる。後に「ストリップ界の東京大学」と評される。

ストリップ合間のコントの評判から東洋劇場を増設。
此処では萩本欽一、坂上二郎、後のコント55号が活躍しスターへのきっかけをつかんだ。
その後、東洋劇場も閉館となり1階が演芸ホール、上階がフランス座に。

この頃1972年に深見千三郎に弟子入りしエレベーターボーイをしたのが、ビートたけしです。
たけしは此処できよしと出会い、後のツービートで活躍します。
フランス座は1999年に閉館し現在の東洋館に。

今でも東洋館の看板の上にはフランス座の文字があり、数々のスターを生み出した伝説の聖地は365日無休で営業し次のスターの誕生を見守っています。


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